ボンネビルT100-NWJC2014仕様を楽しむ
今年も昨年同様に空冷ボンネビルT100-NWJC2014を駆って春爛漫の木曽路を楽しんできた。
午後より天気が崩れるとの予報のため半日のみとしていたが、お気に入りのボンネによる心地よさはもう少しもう少しだけとついつい足を延ばして帰りは予報通りの雨でずぶ濡れになったが、ボンネビルとのよき時間を過ごす事ができたのは何より。
半日だけでは物足り無く5月中旬には江州方面の春をポコポコと楽しみ、再びボンネビルとの良き時間を過ごす事ができたが、近年はおっさんから おじじライダーになりつつあることを実感する事が増えているような気がする。
トライアンフ最後の空冷モダンクラシック-ボンネビルは2001年から乗り始めて、空冷スクランブラー900やT100などを乗り続けてメンテナンスとモディファイにより走りの質を高めた事で思うことは、電子制御システムなどが素晴しく発展した時代でもバイクと人の間に電子制御などのハイテク技術がほとんど介在すること無く、良き時代のバイクと同様に人の関わる領域が広いことは五感がその良さを実感している。
全域で心地良いエンジン特性を上手く引き出すことと、気負うことなく使いこなせる車格のサイズ感により、ポコポコと歩くような速度域から全力疾走まで、走りの質が向上して心地よく楽しめるNWJC-2014仕様へと深化すると、道具としての価値に気づくことからボンネによる素敵なバイクライフが始まった。
空冷ボンネビルもメーカーの出荷状態では心地よく楽しめない
おっさんライダーと相性が良い空冷ボンネビルだが、メーカー出荷のSTD状態では800ccあっても排気量が半分のトランザルフ400と比べても置いていかれるような程度で、ある速度域からはフロント周りの接地感が希薄で心地よく曲がらず止まらない、何ともバランスが悪くつまらないバイクだった。
そんな程度のボンネビルでも、売るが為のレビューは所有欲を煽る提灯記事は良い事ばかりで、決して違和感や問題に触れる事がないのは今日でも何ら変わる事が無い。
そんなボンネビルでも、メンテナンスとモディファイによりトータルバランスを整えて走りの質を高めると、車格は一回りコンパクトな感じとなり、エンジンは全域で扱いやすく一体感がより顕著となり、メーカー出荷のSTDからでは想像もできない走りを楽しむことが出来るようになるが、一般的なボンネビルの乗り味とは異なるのも事実である。
メンテナンスやモディファイに関して、エンジンコンディションを整える事はバルブクリアランスの事などは紹介しているので多くの方々がご存じであり、サスペンションを取り換えることで走りは格段に良くなりトータルバランスが整うように思われているようだが、それだけでは本来の心地よい走りは楽しめない。
本来の良さを発揮していないがそれでも調子が良いと思われている方も多く、本来の良さには程遠い状態であることを伝えても調子が良いと云われれば残念ながら「それは良かったですね」で話は終わる。
バイクは嗜好品だからそれはそれで良いと思うが「よく解からないからお任せ」と依頼を受けると、ここまで違うのかとか、長距離が疲れずに楽しめるようになったとか、走りの質が向上したことを実感されるとバイク屋としては嬉しい限りである。
人の関わる領域が広く操る楽しさが魅力のトライアンフ最後の空冷モダンクラシックも、経年劣化のためメンテナンスも必要となるのは当然のことだが、「速さより心地よさ」「何かに特化することのない曖昧さ」「和洋折衷のような大らかさ」をテーマに、走りの質を高めて自由気ままにフィールドを拡げて心地よく楽しめるようバイク屋自らの実体験に基づいた提案が少しでも役立てばと思う。
如何に売るかよりも如何に心地よく楽しめるか、メンテナンスとモディファイより走りの質を高める事を具体化した空冷ボンネビルT100は時代の流行り廃りに流されること無く、2014年よりNWJC2014仕様へと深化して良き相棒へと育てる事が出来たのは何よりであった。
空冷ボンネビルは2001年から乗り始めて25年が経ったが,「こんなものです」とした使い捨て的な消費文化と、乗りだしてから良き相棒へと育てるバイク文化があることをバイク屋のバイク乗りとして実感している。
所有する悦びとは・・・
放物線を描くようなバイクライフはその長所や短所を実感できるが、売るが為の提灯記事では余裕を持って走れる大型モデルがバイク旅には最適で人気であるとか、所有する悦びなどと情緒的な価値観をあおり如何に売るかは益々巧妙になっている。
おっさんライダーも最近ではほとんど乗る事も無くなった1968年製 CB450K1やエルシノア250、モンキーMなど数台を当時より所有している。トライアンフに対抗するコンドル計画により産まれたCB450はK0、K1、Exportと進化して、CB450K1は今でも大切にしている。
思いついたようにエンジンを掛けると、そうそうこの感じと一人で納得。走らせても同様に色々な事が蘇ってくる。 おっさんライダーにとってはタイムマシーンのようでもあり、良き相棒であり家族のようでもある。
所有欲を満たす所有する悦びのバイクと、おっさんライダーの所有する悦びとでは随分意味合いが違う。
旅バイクとしての積載性と積載力について
メーカー出荷のSTDは工業製品としては完成品でも楽しむための道具としては未熟で、バイク旅必須の積載状態ではボルトオンパーツを組み込んでも操縦性や安定性への対策や緩和が出来ない場合、乗り換えを奨める日本のバイク業界は相変わらずの使い捨て的な消費文化のように思う。
250等の小排気量の場合、自由気ままにフィールドを拡げてバイク旅を楽しむために荷物を積載した場合、メーカー出荷の車両にボルトオンパーツを組み込むだけでは安定性や操縦性に問題があり、所詮は250だからと妥協することになるのが一般的のようである。
空冷ボンネビルの場合でもサスペンションを変更してキャリアを取り付ける程度の積載性ではハンドルが振られるなどの違和感もあり、積載状態だからやむを得ないと妥協してつまらない旅となるのが必定。
車格や排気量に関わらず操縦性や安定性などの違和感への対策は、実体験に基づいたメンテナンスやモディファイにより積載時の安定性と操縦性を高めてトータルバランスを整える事が積載力を高めることであり、ボルトオンパーツの組付けにより積載量を増やす事が積載力を高める事では無い。
素敵なバイクライフは身の丈にあったバイクにより実感できる
バイクの楽しみ方は十人十色だが、人車一体により道具として機能する乗り物だから、ライダーとして未熟でバイクの電子制御システムなどにすべてを依存する道具主義の場合、実体験や客観性を軽んじて主観的で自分自身に都合の良い解釈をすると、ライダーとしての感性は育ち難く、その良し悪しやスキルUPに関しては時間の経過によって気づくことになるだろう。
気負うことの無い身の丈にあったバイクライフは、バイク屋自らの実体験による提案が何よりだが、実体験が無いか乏しい場合、部品交換だけでは違和感や問題への緩和や対策ができず、提灯記事を頼りに「旧いから」とか「こんなものです」等で代替を奨めることが現実のようだが、高齢化に関しても同様に経験した者にしか理解できないことが現実であると思うがいかがか。
売るが為の提灯記事では余裕を持って走れる大型モデルがバイク旅には最適で人気とのことだが、高齢化が進む日本の2輪市場では、大型モデルの気後れするような車格や車重では点と点をつなぐ単調な線を描くか、積載状態でも気負うことも無く自由気ままにフィールドを拡げて複雑な線を描けるダウンサイジングか、楽しむ為には身の丈に合った車格が最適であるとおっさんライダーは実感している。
欲張りなおっさんライダーは、カブ110NWJCコンプリートからSL230TM・SR500TM・CB400ss-TM・空冷ボンネビルT100-NWJC2014仕様など、メンテナンスとモディファイによりトータルバランスを整えて走りの質を高めた良き相棒と共に、普段のチョイ乗りから何日も走り続けるバイク旅まで自由気ままにフィールドを拡げて身の丈に合ったバイクライフを満喫したいと日々想いをめぐらせている。