僕んちのバイクライフ その5
異例の早さで梅雨明け宣言があったが、その後は天候不順。コロナも山奥まで侵略してなかなか自主制限の解除には至らない日々、そんなことしていると飛騨の短いバイクシーズンが雪の中になってしまう・・・・と焦りが出始めている。
先日は、高田さんのSL230ツーリングマスター(TM)がシリンダー上部のオーバーホールを終えたので、慣らしツーリングにSL230TM仲間と一緒に参加した。
NWJCツーリングマスターとしてのコンセプトは同じ!でも、一台一台少し違う?5台で登っても下っても、曲がっても真っ直ぐでも軽快に反応してくれるSL230TMでストレスを感じることは無い。
面白さと楽しさいっぱいの充実感を共有できた良き一日でした。
情緒的価値観と機能的価値
さて、この充実感!6年前に【想像】できただろうか?答えは『いいえ』である。
では6年前の充実感に思えたあれは何だったのだろうかと振り返ると、それは所有欲と妄想だった。
今ならはっきり解る。妄想の源はトリコロールカラーのCRF1000アフリカツインである。
アフリカツイン、それは僕の情緒的価値観を満たすには十分なネーミングとカラーリングだった。
乗り始めの2016年は憧れだったアフリカツインの新型に乗れるという優越感に浸りつつ、近場をあちらこちらと走りキャンプにでかけた記憶もある。しかし、そんな事はいつまでも続かず3年目以降は年一回オイル交換をするかしないかの走行距離となっていた。
乗り始めた頃は、新型バイクという優越感もありワクワクしつつ走らせていたのだが、何となくの違和感を覚えることがあった。そんなとき高田さんは『アッシ、アフリカツインで何処走るのかな~』と聞いてくるのだった。
自分としては、ちょっと行けばクネクネ道がたくさんの飛騨やから、その辺りを走るのさ!と思っていたのだが、しばらくすると違和感を覚えるように、それはアフリカツインとの距離がまったく縮まらない一体感が無い。
そのクネクネ道は24年前に乗っていたBMW R1100GSではそれなりに楽しめたが、最新のアフリカツインは僕と共にクネクネ道を楽しむことを拒んでいることに気づきつつあった。
すると高田さんは『だから言ったでしょ!やめた方がいいと』え~!バイク屋さんが売るためには『やめた方がいい』なんて言いますか?普通は言わないですよね!!でも、悔しいけれど「おっしゃる通り」となり認めたくなかったが、40年来の付き合いで僕のバイクライフはすべてお見通しだから敵わない。
最初こそワクワクしたがそれは持続せず、持て余して思い通りに操れない大柄な車体はストレスに感じて、憧れという情緒的価値観は物の見事に崩壊したことが感じられて、儚い アフリカン ドリームとなった。
その昔R1100GSの75周年限定カラーを新車から乗り始めた当初も同じように優越感というところから始まったが、SL230による『トレッキングごっこ』によりスキルアップができたことで、大柄なGSとの距離が近くなり、優越感、満足感、充実感があったことを思い出す。
時代遅れのバイク屋さんのコダワリ
当時、NWJCさんがBMWの正規ディーラーだったころR1100RTが大流行りだったが、高田さんお薦めは超マイナーのR1100GSだった。今思うと、あのころから自由気ままにフィールドを拡げて楽しむバイク屋NWJCさん独自の日本的なバイクライフの提案を模索していたことが窺える。
同時にR1100GSを林道でも気負うことなく楽しめる仕様へと深化させて、林道へもよく連れて行ってもらった。心地よいボクサーエンジンの鼓動と丁寧に操作をすれば素直に反応してくれる車体、そんな感覚が年を重ねる毎に増していった。大型バイクの醍醐味と面白さをメンテナンスとモディファイにより本当の意味での機能的価値を高めてその良さを僕に伝えてくれた。
24年前はR1100GSを楽しむためにあんなにたくさんのアドバイスとフォローをしてくれたのに、何故アフリカツインに関しては見ているだけで何も手を差し伸べてくれなかったのか?それについて聞いてみた。
すると、歳を重ねてバイク屋のバイク乗りとして価値観が大きく変わったことが一番で、どこかで前へ進むことよりも振り返ることが必要だと思っていたと。
最近ではアドベンチャーモデルと言われるアフリカツインやGSも益々大柄になり、電子制御満載で人の関わる領域が狭くなって、ライダーはオペレーターとなり操る面白さが希薄になり、持て余すBigバイクよりも扱える車格と使いこなせる排気量へのダウンサイジングであり、人との相性がいい良き時代の空冷シングルやツインのアナログバイクを蘇らせて、それぞれの良さを発揮させてその面白さを提案したいとのことだった。
また、提灯記事で情緒的価値観と所有欲を煽り販売することが最優先となり、バイクは買うよりレンタルのチョイ乗りで娯楽の小道具となりつつあること等、「ウンザリすることばかりだが、俺は時代遅れのバイク屋であることに誇りを持っている!」とニンマリ。それは40年来の付き合いでブレないことでもよくわかる。
情緒的価値観と機能的価値のバランスを実感
所有欲や優越感といった情緒的価値観は全く必要ないとは思ってはいないが、ただここ最近のバイクブームと言われる中での『焚き付け感』はある意味特殊詐欺とも感じられるように思うことがある。
村田さんがUPされたブログの「騙されることについて」も僕と同じことを思われての事ではないでしょうか。
それとも僕に向けてのメッセージだったのかな?
これのココが良い!あれのソコが良い!と何とも抽象的な表現で良いことばかりの情報が出っぱなしで、それを汲み取るユーザーが居る。慌てて準備した容器(二輪免許)で溢れる情報を汲み取り、各自の情緒的価値観を満たしていく。しかし、情緒的価値観だけでは存在感という自己顕示や皆とのお付き合いの為の小道具ではバイクライフを維持できないから、今後どれだけの人がライダーとして残るのだろう。
アフリカツイン3年目の気づきになった外せないことがある。アフリカツイン歴2年が過ぎ違和感が消化不良を引き起こしているとき、またしても高田さんから意味深なささやきが、『俺のSLに乗ってみる?ちょっと違うよ』と、SL230は長年トレッキングごっこで楽しみライディングの原点を知ることができた僕の愛車であり、絶対に手放せない価値あるバイクである。
高田さんのSL230はトレッキングごっこでお世話になったあのSL230とは全く違う仕様で、これが「欲張りなおっさん仕様」が深化したSL230TMとの出会いであった。
気負わずにバイク旅を自由気ままに楽しむための仕様とのことだが、それまではあまり意識したことがないダウンサイジングへの提案でもあり、欲張りなおっさん仕様が深化したSL230TMは僕のSL230とは外観が少し違うだけだと思っていたが、まったく別物で乗らなければあの違いには気づかない。
専用スクリーンによる防風効果も大きく、積載力もある軽量なツアラーといった感じであり、なんとなくこれからのバイクライフはこれかな?そんな予感があったのも事実である。
その後、うちのカミさんも深化したSL230TMとCB400SSを乗り比べると、SL230TMのほうが楽にツーリングを楽しめるとその良さを実感した。
それをキッカケに僕がCB400SSをTM仕様で楽しめるようになったことも付け加えておく。
軽量な250クラスでの長距離ツーリングの問題点は、積載時はフレームがグニャグニャして剛性感が足りない感じで、ワインディングでの操縦性は勿論のこと高速道でも80Km以上で走行する事は安定感が無く大変なことになり、長時間走るとお尻が痛くなるシートの問題など、軽快に走り続けてロングツーリングを楽しむ事が出来ないと思っていた。
しかし、そんな違和感や問題は微塵も無く、20数年前のバイクだが旧さも感じない。SL230からNWJCツーリングマスターへの変化というか深化を実感して、今思えばお気に入りのSL230がTM仕様へと深化したことで、情緒的価値観と機能的価値が見事にバランスしたように思う。
それから3年経過した今でもそう感じている。
そして更なる深化も続いて、その後のアフリカツインはCB400SSもTM仕様へと深化して益々乗る機会が減ってガレージのオブジェと化したように思う。
今年、これからのバイクライフをより楽しむ為に、本当の意味での価値観と価値ある道具について考え直すことができ、アフリカツインを手放すことにした。アフリカツインを手放したことで高田さんから「アッシもやっと緩やかな放物線を描くバイクライフが始まったな!」と意味深なことを言われた。
バイクは危険な乗り物でもあるが、価値ある道具であり良き相棒でもある
最近のバイクについて、バイクは本来危険な乗り物であることが、電子制御満載のバイクなら安全であるかのような説明には矛盾があるのでは?バイクが倒れないのはライダーが乗っているから、でもそのスキルについては?
乗り出してからのメンテナンスは4輪的なメンテナンスパック等の消耗品交換やテスターチェックだけでは、バイク本来の良さは発揮できない事も今までの経験から実感している。
また、バイクの死亡事故が多いこともあり、ライディングスクールは商品取り扱い説明会のようで売る事が最優先でそれが最終目的だから、乗り手はバイクが危険な乗りものであることへの自覚が求められていると思うが、それに触れないのは何故だ。
余談だが、旧いバイクのブレーキは、今のように安定して効く性能ではなかった。雨降りにはほとんど効かないか、いきなりロックするか、恐る恐るジワジワとかけてその感触を探りながらの時代背景が、バイクは危険な乗り物であることをバイクが教えてくれたから大事に至らず今日までバイクを楽しむことができている。
ライダーが多くの部分を担う人車一体についても、電子制御満載の今の時代とは少し意味合いが違うようにも思うし、そんな時代からバイクを楽しんできたことは幸せなことかな。
心地よい満足感を得ることができる機能的価値は、メンテナンス等によりコンディションが整ってから使い込めば使い込むほど更にその感覚は増していく。
それが価値ある道具であり良き相棒でもあると経験から思う。ただしそれには不可欠な事がある。それは経験豊富なバイク屋さんとの出会いがすべてだと思う。
生意気なことを言いますが、それはバイク屋さんにとってメンテナンスやモディファイなど実体験に基づいた裏付けと、ライダーとしての目線からのフォローが求められていると思いますが、バイクに乗らないバイク屋さんでは感覚的な違和感などについては無理なことだと過去の経験から実感しています。
バイクには乗らないで売る事が最終目的のメーカー系専売店では扱われない価値ある1台がSL230TMやCB400SS-TMであり、数多くの実体験と試行錯誤により熟成させた色々なアナログバイクがツーリングマスターとしてバイク屋ノースウィングJCから生み出されていると今感じている。
あっ!そういえば、もうひとつ蘇った購入時の記憶がある。アフリカツインもR1100GSもたしか・・・・・『一生のお願い』購入だったような、これで二回は使用可能が確認できたから、三回目へのチャレンジ?どうしよかな。