CT110で能登の神話を訪ねる
7月は集中豪雨が至る所で発生して8月は猛暑が続き、新型コロナウイルスの感染拡大により世の中はすべてのことを自粛する傾向となっているが、ベテランライダーたちはこの時期を好機と捉えて時間の掛かるリフレッシュメンテナンスやモディファイの相談や依頼が増えている。
CT125が発売されたことが発端か、NWJCのスタッフで女性ライダーのY・110さんからは長年愛用していたCT110を久しぶりに走らせたいとのこと。
カブ110NWJCコンプリートType2に乗るようになって数年ぶりに動かすCT110は、エンジンから足回りなど各部のチェックと、劣化した消耗品交換を含むメンテナンスを施すことにした。
CT110は各部のチェックを終えて、数年眠っていたことも含め本来のコンディションを引き出す為にある程度の距離を走らせることにして、CT110では何十年ぶりかの能登を楽しんできた。
たまたま飛騨のアツシからTELがあり、能登へ出かけることを伝えると休みが合うからカブ110NWJCコンプリートType3で飛び入り参加するとのこと。その後RBRのオヤジからも色んなことが一段落したのでType2で伊勢めぐりPart2に出かけると連絡があり、オッサンはCT110で能登へ出かけることを伝えた。
→RBR公式サイト「お伊勢さん巡りその②カブ110NWJCコンプリートで行く
世界遺産の白川郷で新旧の110が合流して能登の羽咋から七尾へと神話にゆかりの神社を訪ね歩き、道すがらCT110のテールランプが点灯しなくなりテールバルブのチェックから配線の接触不良を応急修理する予想外の出来事もあり、帰路はアツシの定番ルートで氷見から立山を一望できる婦中を抜けて笹津からR41へ、飛騨からは郡上経由で岐阜への夜道を一気に駆けてCT110の昔懐かしい乗り味を存分に楽しんできた。
Goodコンディションで楽しむ
最近のバイクはテスターチェックだけのメンテナンスでは何ら違いや差も無く、電子制御が満載のバイクでは違和感があってもテスターチェックでOKであれば「こんなものです」となるようだが、決してGoodコンディションを得ることはない。
CT110のように旧いアナログバイクでは、最近の電子制御されたバイクのようにテスターチェックをするところも無く、基本に忠実な手作業がすべてとなる。
Bike屋のバイク乗りとしての実体験とメカニックの感性で、Goodコンディションに整える為には電子制御満載のバイクでも手作業が必要なところが数多くあり、どれだけ手を掛ける事ができるかによってコンディションの違いが顕著となるのだが、あまりにも一般的に知られていないのは残念なことである。
余談だが、手間の掛る手作業によるNWJC独自のメンテナンスにより、空冷ボンネビルT100やスクランブラーをGoodコンディションに整えて心地よい走りを各地のライダーに提供してきたが、これからもより多くのトライアンフ空冷モダンクラシックをGoodコンディションに整えて、素敵なバイクライフを満喫していただきたいと思う次第である。
CT110のアナログ感が心地いい
能登の羽咋はNWJCよりほぼ真北にあり、未明にCT110でR156を北へむけて走り始めた。STDのCT110では後方の車を気にして走ることになり疲れるが、モディファイされたNWJC仕様のCT110はカブ110NWJCコンプリートと同じく楽々と流れに乗れて心地よく楽しめる。
Y・110さんのCT110もモディファイされたNWJC仕様だからアツシのカブ110Type3と比べても遜色の無い走りで楽しむことができる。しかし、積載状態での走りは雲泥の差があり積載時のNWJCコンプリートの安定感は格別でカブシリーズ最強であることは多くのライダーが認めるところである。
CT110や兄貴分のCT200などCTシリーズとは長い付き合いで、新車からCT110を乗り続けている地蔵さんや御大のオジにYさん、希少モデルとなったCT200がお気に入りのIdoさん、旧くからのバイク仲間は今日までCT110やCT200をGoodコンディションで楽しんでいる。
ブレーキ性能は当時から年代モノの効き味で不安だったから、安定感は少し低下するが回転部分の質量を小さくする為にアルミリムへの変更は有効な対策方法で、CT110はエクセルでIdoさんのCT200はシルクロードのアルミリムを組み込んだような覚えがある。
今回の能登を日帰りしたルートの走行距離は580km程度でCT110NWJC仕様なら気負うことのない距離だが、Type3と共に走り比較すると新旧による性能差は当然あるが何ら遜色のない走りで、エンジンを掛けること、アクセルを開けること、バンクさせること、ブレーキを掛けること、総てがアナログで心地好くよき時間を過ごす事ができた。
ひるがのでは外気温が15度とススキが綺麗な秋の気配となり、レッグシールドとスクリーンが装備されていないCT110でフルメッシュの装備では寒くレインウエアーを着て凌いだが、カブ110NWJCコンプリートのレッグシールドとスクリーンのフェアリング効果は絶大で、長距離での天気の変化は快適さや疲労感に大きな違いがあることをCT110に乗ることで改めて実感した次第である。
最近ではSR500を40年ぶりに楽しみCT110も同様に当時のバイクを再び走らせることは、音や振動など当時と何ら変らない感覚的なことが記憶の紐を解くキッカケとなり、懐かしく色々な事が思い出されることも素敵なバイクライフであると実感した次第である。
余談だが、副変速機などを装備したCT110や兄貴分のCT200は更なる重装備で、使用目的や用途から生まれて造り込まれた機能やデザインはレーサーや戦闘機と同じくカッコよく美しいと思うが、話題性やイメージ、存在感などから焼き直したバイクとでは本質が違うから提灯記事による比較は無意味であり、ヤラセ抜きで実体験に基いて如何に継続して楽しめるか等の提案が求められているのではないか。
CT110とカブ110NWJCコンプリートで能登の神話を訪ねて
五箇山からR304へ入り、城端から福光を抜けて押水・羽咋を目指すルートはお気に入りの田園風景を楽しむ定番ルートでもあるが、今年は出歩くことを自粛していたのでトラクターが動き回る春先の風景を見ることが出来なかったのは残念である。
今回の能登は趣を変えて出雲風土記にある能登の神話を少しだけ訪ねて、オッサンの勝手な想像力を膨らませて楽しむ事にした。
出雲風土記 意宇の郡に「天の下造りましし大神大穴持の命、越の八口を平け賜ひて」とあり、能登一之宮 気多大社のご祭神は大国主神(大穴持の命)で大蛇に関する伝承があり、平国祭りはご祭神が邑知潟に棲む化鳥か大蛇を退治したことを今に伝えている。
中能登にある神社は旧道や住宅地の細い道ばかりを辿ることになり、入り組んだ道は軽自動車でも慣れていないと大変な感じで、カブ110やCT110で訪ね歩くのは楽しく緩やかな時は瞬く間に過ぎていった。
社殿を持たず御神体を樹齢1,300年とも云われるタブの木とした、諏訪大社のご祭神建御名方命のトレードマークである「薙鎌」に由来する神事が行われている神社もあり、神無月でも諏訪は出雲と同様に神在月で、国引き神話による出雲と能登の関わりや糸魚川から諏訪へは数々の神話と多くの諏訪神社があり、再び時間をかけてノンビリと訪ね歩きたいと思う。
気多本宮縁起に、大己貴神出雲国三穂崎より鹿、亀の二霊に乗りて能登の珠洲の御崎に着き給ひ、それより所口に上り玉ひ云々、これより郡内経営の緒につき玉ふ。(石川県鹿島郡誌)とあり。
地方の古い伝承では、七尾市所口にある気多本宮(能登生国玉比古神社)が、気多神社の本宮
だと今も云われている。
飛騨のアツシ曰く、能登ツーリングと云えば千里浜、レストハウスのイカだんご、海鮮、きときと寿司などは今までの定番であったが、祭りの囃子で何十年と横笛を務めてきて神社にも縁があり、まったく知らない能登を再発見できて新たな楽しみが広がったとのコト。
日本神話とバイク
大型バイクで神話を訪ね歩くのは地元の人には妙に警戒される事が多く、住宅街にある同じ史跡を2度訪ねたときの事だが、CB1100で訪ねた時おばあさんは孫の手を引き家の中へ、カブ110NWJCコンプリートで訪ねたときは、孫の手を引きながら近づいて「どこから来なさった?」「岐阜からです」「それはそれは遠くからご苦労さま」と声を掛けられた、乗り手は同じでもこの対応の違いは何だろう。
NC700Xを駆って九州のヤマトタケルノミコトにまつわる伝承地を駆け足で訪ね歩いた。ヤマトタケルノミコトに由来する道沿いのさびれた神社を訪ねたときも、見慣れないバイクだから不審に思われたのか、近所のおばあさん2人が境内に入ってこられたのを見かけてご挨拶したが、無言のままこちらを窺って居られた。
禊払いの祝詞をあげて道中の安全を祈念し参拝を終えてから、様子を窺って居られたおばあさん達に再び会釈をすると笑顔で会釈が返ってきた。
観光地でもない地方の寂れた神社へ見慣れない県外ナンバーの大型バイクがやってくれば不審者に思われ警戒されるのは何故だろう。車なら何ら問題もないがバイクで出かけると似たような事が度々ある。
カブ110NWJCコンプリートではそのような事は一度も無く、其々の地域で快く受け入れられているのは、新聞や郵便配達で聞き慣れた音や形のせいでもあるのか日本で唯一住民権を得ているバイクのようであり、日本の2輪文化とは・・・或は趣味と娯楽の違いは何だろう、と思うことも屡の今日この頃である。