バイクは健康療具

HONDAゴールドウイングからバイクの価値を考察

台風が去り、久しぶりにゴールドウイングGL1800 に乗ろう!そう思ってタイヤの空気圧をチェックしエンジンを掛けようとしたら・・掛からない・・。バッテリーあがりを起こしてしまったのだ。

この6年間、バッテリー上がりを起こすほど長期間GL1800に乗らなかったことは無かったが、こんなことになるとは・・・。

今年は、異常気象によって日本国内の様々な所で被災された方々が沢山おられ、被災地の一日も早い復興を心から願う次第です。

私自身も、少しではあるが被害に遭い、ツーリング計画は尽く計画倒れに終わり楽しむ機会が少なかったというのもあった。

ゴールドウイングと私の距離感

そういう状況で、天候に恵まれた貴重な日に、ツーリングの相棒として選ぶのは、カブ・コンプリートやXR230TMというダウンサイジングした車両が主であった。大型バイクは、空冷のトライアンフ・スクランブラーやBMW R100RSには乗るが、GL1800 に乗って出かけようという気持ちになれなかった。

無計画に、ふと気が向いてツーリングに出かけようとする時、限られた時間を楽しく充実させてくれるバイクを選ぶと、自然とGL1800が除外されてGLユーザーとしては失格かな。

GL1800に乗り始めた頃を振り返ってみると、88年から昨年まで長年にわたりゴールドウイングを楽しんでいた高田さんが提唱されているGL適齢期になったと思った時、素敵な体験が出来ることや、新しい自分になれるかもしれない。そういう空想や好奇心で満たされた状態だった。

GL1800は存在感があり、200万円以上する高価なバイクを購入したことで、先ず所有欲が満たされた。

初めて動かした時の感想は、重くて小回りは全く利かないし、交差点ではグラッと内側に倒れそうになる。これは大変なバイクを買ってしまったのかも知れない、そう思ったりもした。

確かに今までに味わったことのないGLの乗り味は、心理的に近付くことと、抱いていた好奇心を満たそうとしたが、かなり乗り難いバイクであった。

慣らし運転が一通り終わったところで、長年ゴールドウイングに乗り続けて独自のメンテナンスノウハウを持つバイク屋ノースウイングJCの実体験をフィードバックしてもらう形で、メンテナンスを施してもらった。するとGLは新車の時よりも格段乗り易くなった。

そのお陰で、低速走行時の不安定さも無くなり、市街地でも峠のワインディング走行も楽しめるようになり、九州から北海道まで様々な所へ出かけて行った。その過程で空想は現実体験に置き換えられて、徐々に好奇心が満たされて行った。

好奇心が満たされて行くと、それに正比例してGL1800 との心理的な距離が縮まって行く。そして私の素敵なGL1800生活が充実して行くと思っていた。

私にとってのGL1800の価値を高めたい、そう思い立って去年の9月、岐阜から青森そして北海道へ、4日間で3,000km以上の距離を走ってみた。確かに身体とバイクとの繋がりは密になり、ある程度までは距離が縮まっていくのが体験出来た。だから、この調子で更に心理的な距離を縮めて価値を高めて行こうと思っていたのだが・・実際には違っていた。

実体験しながら気付いていた事がある。GL1800を操り空冷スクランブラーやR100RSと同様に脇道へも入り込み自由気ままに旅を楽しむという希望を抱いていたのだが、日本の道路事情では思い通りに楽しむことが出来ない車格という現実を突き付けられて、どれだけ頑張っても、いや頑張れば頑張るほど、近づき難いものがあることに気付かされた。

私には、この車格のバイクを駆り、気負うことなく自由気ままに、旅を続けることは出来ないことに気付かされて、好奇心はこれ以上満たされないと思うと自然と薄れて行った。

この6年間で体力の衰えも目立ってきたようにも感じる。ゴールドウイングと私の間にある心理的な距離が、去年から縮まることなく寧ろ開きつつあるように感じる。

私は幸運にも車格が違う複数台のバイクを所有している。それらを同時進行で楽しんでいると、楽しみ方の違いがとても分かり易い。

複数台のバイクは、バイク屋ノースウイングJCの実体験に基づく独自のメンテナンスノウハウにより深化させてもらうと、履きなれた靴のように馴染み、車両と私の心理的な距離がみるみる埋まって行く。

気軽に楽しめるカブ・コンプリートやXR230TMでは、バイクツーリングという楽しみ方からバイクで旅に出かけるという、似て非なる楽しみ方をするようになった。

HONDAゴールドウイングと所有する他の大型バイクを比較する

私の中で価値観が変わり続けているGL1800は、私にとってどのような価値のあるバイクなのだろう?他の大型バイクと比較して考えてみようと思う。

GL1800以外に所有する空冷のトライアンフ・スクランブラーNWJC2014仕様やOHVのBMW R100RSの場合、それぞれ大型バイクらしい車格はあるのだが、心理的な距離はGL1800よりもはるかに近い。

GL1800も空冷スクランブラーもR100RSも、高田さんが好んで乗ってこられた車輌でもあり、実体験に基づいてフィードバックされたメンテナンス+α(モディファイ?)が施されている。全車ともに新車の時よりも格段乗り易くなっている。段階的にその変化を何年にも渡って味わって来たという点においてGLも差は無いが、違いは乗っている時に私と交わす会話の内容だと思う。

バイクとの会話が、快・不快だけの分かり易い感覚だけであるなら、こんなことは考えないで、バイクに乗ると気持ち良いからバイクに乗る、バイクに乗るのが億劫だからバイクに乗るのを辞める、という単純な話で終わるのかもしれない。

ライディングの基である「トレッキングごっこ」を長年続けている成果で、細かいことは説明し難いのだが、感覚的にバイクを操る一連の流れがとても滑らかに行えるようになった。
その一連の流れは、操る意志とそれに伴うバイクからの情報を会話として楽しめるようになった。

スクランブラーや100RSに乗っている時には、バイクとの会話がし易く分かり易いから、長時間乗り続けることが楽しい。高田さんがブログでよく書かれているアナログ感を纏ったバイクの素朴な乗り味が、そうさせているようだ。これは、カブ・コンプリートやXR230TMに近いもので、50歳に近付きつつあり体力が低下した私でも心地良く走り続けることが出来る。

しかし、GL1800に乗ると車両に対して掴みどころのない距離感や違和感を覚えるようになってからは、会話しようとしても遠慮しがちで気力・体力が続かず車両任せとなり、ぎこち無くなってきた。体力や気力が充実していても、長時間走り続けるのはとても疲れるようになってしまった。

バイクを永く楽しんでいるライダーにとっては、ダウンサイジングした車両を楽しむ傾向にあることは自明の理であるようだ。

GL1800は、他のバイクをより永く楽しむ為のトレーニングマシンであり、パッセンジャーシートに誰かを乗せて走りたい時には捨てがたい魅力がある、そういう価値のあるバイクだと思うようになった。これは私の見栄か強がりなのだろうか。

「バイクとの心理的な距離」=「バイクの価値」では無い。

心理的な距離は価値観に影響するし、価値観は心理的な距離に影響するのは間違いない。双方が互いに影響しあい、変化して出来上がっているのが、私にとってのバイクに対する価値観だ。その価値観でバイクを捉えてバイクの価値を感じ取っている。

6年前の私の価値観からすると、GL1800は大変価値のある乗り物だった。ところが、この6年間乗り続けた結果、私の価値観が変化して、ダウンサイジングしたバイクの中に高い価値を見出すようになったことと、価値観の中にあるバイクの楽しみ方が変わったのが大きいと思う。

年を経る毎に、「バイクに乗っているのが心地良い」「心地良い体験を沢山したい」という想いから「バイクに乗って心地良く走り続けていたい」という想いに変わって行った。

視点を変えて考えると、前者は「心地良い体験」が沢山あった、後者は「心地良い体験を」し続けている、という違いがあるのではないかと思う。バイクに乗ってどれだけ充実した時間を過ごしたのか、ということを考えると、後者の方が充実しているように感じるのではないかと思う。

これからもバイクを心地良く走らせて、私なりの価値観を構築して楽しみたいと思う。

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