バイクは健康療具

空冷スクランブラー2014仕様が教えてくれたこと

いつもの西日本へ

今年の2月末に、スクランブラーの車検を受けた。ゼッコーチョーであったはずの私の愛車は、プロの診断を受け、フロントブレーキに問題があることが発覚した。

自分では異常が無いと思っていても、徐々に性能が低下していく機能部品もあるので、注意が必要だと常々思っていたのだが、愛車の調子が徐々に崩れていたことに気付かなかった。

フロントブレーキを始め各部のチェックとメンテナンスを受けたスクランブラーは、取り回しの軽さから始まり、ちょっとした右左折でも違いが分かるほど、調子が良くなっていた。こんなに変わってしまうなんて。

心地良さを取り戻したスクランブラーでツーリングに出かけたいなと思っていたら、高田さんがツーリングに出かけたいと話しておられた。そこで私とKさんも是非ご一緒したいと話して、いつもの西日本へツーリングに出かけることになった。

初めは、ボンネビルT100の高田さんと、私とKさんがスクランブラーで出かける予定だったのだが、出発前にKさんが風邪でダウンしてしまったので、ボンネビルとスクランブラー2台で出かけることになった。

調子が良くなると、スクランブラーとの会話が変わる。

春の嵐さながらの向かい風にあおられながら、夜の高速道路を走り続けたのだが、ブレーキの問題から解放されたスクランブラーは、力強さを取り戻していた。坂道でも余裕の走りで、淡々と走り続けることが出来た。

小排気量のカブ・コンプリートやXR230では、チェーンやブレーキのフリクション等により、力強さが損われてしまうのは非常に分かり易いのだが、大排気量のスクランブラーでも、コンディションを整えてきちんと会話出来れば、感じ取ることが出来る。

向かい風のなか、僅かでもアクセルを開けると、反応がとても良くて心地良い。身体とバイクが一体となる感じが分かり易くなると言えば良いのだろうか、アクセル操作とスクランブラーの挙動との時間差が少なくなり、私が語り掛けたことに素直に答えてくれるような感じが強くなった。

一般道へ下りて、九十九折れの道を走ると、つい先日までの会話とは、全く違う会話になる。

ゼッコーチョーのはずだったスクランブラーでコーナーに入ろうとすると、私が両足と腰に力を入れる感じでグイっと持って行く感じでスクランブラーに語り掛けると、スクランブラーはググッと向きを変えてドコドコドコとコーナーに入って行く感じで答えてくれる。その時のバンク角はやや深めになっていた。

2014仕様本来の調子を取り戻したスクランブラーは、私が足の裏でステップを踏む感じで語り掛けただけで、クイッと向きを変え始めて、スルスルとコーナーに入って行く。バンク角は浅く進行方向がコーナーの出口を向いている。とてもスムーズに走れる。

そう言えば、以前はこんな感じで走っていたな。この感じ、忘れていたな。スクランブラー2014仕様って、こうじゃなきゃダメだよな。そう思いながら、スクランブラーとの会話を楽しみ続けた。

高田さんがブログで書いておられた「素朴な乗り味」という表現は、電子制御が数多く介入すれば業務連絡的な会話となるが、アナログであるほど親密な会話を楽しめるから、移動することが目的ではなく、バイクとの会話を楽しんで日本を旅するのであれば最適な表現をしておられるな、と思った。

それは、バイク屋のバイク乗りとしての実体験から培ったことでもあるから、バイクに乗らないバイクショップでは、バイクとの会話を楽しめない違和感や問題に関して「こんなもの」という対応に終始することも納得できるように思う。

トライアンフ・空冷スクランブラーNWJC2014仕様、カブ・コンプリート、XR230TMに共通していることは、荷物満載でも、のんびりペースでも、ハイペースでも、バイクとの会話を楽しんで旅が出来ることだ。

高田さんはスペックやカテゴリーよりも、速さより心地よさで走り続ける楽しさを標榜されているが、バイクのコンディションは元より、乗り味やライダーの技量なども含んでのトータルバランスについてのことだと、心地良いスクランブラーの走りを楽しみながらふと気付いた。

ライディングはスポーツ

自転車の代わりに原付バイクに乗り、買い物や通勤に使っているライダーの大半は、自転車よりも楽なのだからスポーツではない、と思われているようだ。バイクに乗るのはスポーツではない。というのが、一般的な受け取られ方のようだ。

ヨーロッパでは、バイクは貴族が楽しむ乗馬から派生しているというところがあるから、スポーツだと受け入れられているらしい。しかし日本では残念ながらそういう考えは受け入れてもらえないようだ。ライディングがスポーツでありバイクが健康療具であることは事実なのだから、そういうことを悲しんでも仕方ないかもしれないが、ツーリングライダーとしては寂しい気がする。

スポーツだと実感するには

心と身体は繋がっている。身体とバイクが繋がっている。そして総てが繋がることで心とバイクが繋がる。バイクとライダーの間に双方向の会話が成立する時に、バイクは健康療具としての効果を発揮してくれるように思う。

バイクを操る感覚、自分自身の体を操る感覚、言葉にすることが難しいそういうものが、バイクとの会話には欠かせない。鋭い鈍いの差はあっても、ある程度は感覚が働いていないとバイクとの会話は成り立たない。

そういうことが実感できるようになると、ライディングはスポーツなのだと実感できるようになる。多くのライダーに、そういうことを実感して頂きたいと願う。

ライディング(行為)ではなくライダー(人)を磨く

ライディングを磨こうとして、ライディングスクールに参加するのは悪いことではないと思う。しかし、テクニックを身に着けても、バイクとの会話の内容は充実しない。

アクセルを開けると、タコメーターの針がはね上がる。凄い加速とスピード感だ。リーンインして曲がるぞ。俺の愛車は凄いぞ。このコーナーをこのスピードで曲がれたぞ。凄いぞ俺は。

愛車との会話を楽しく続けようとすると、ライダーの感性が磨かれていない場合、より大きな刺激しか感じ取ることが出来ないから、危険なことが多くなりがちだ。それで満足ししようとすると、後悔先に立たずの結果となる可能性が高い。

アクセルを開けて、あっ走り始めよりもエンジンの反応が軽くて良い感じになって来たな、エンジンが暖まって調子良くなって来たぞ。あれれ・・・何だ反応が鈍くなってきたな、これはさっき給油したガソリンの質が原因だな、次回からあそこで給油するのはやめよう。

ライダーとしての感性を磨いて、ちょっとした変化を感じるようになると、小さな刺激をもとに愛車との会話が弾むから、安全で楽しく充実した時間が過ごせるようになる。

身体を操るということ

私たちは、五官を働かせて生活しているのだが、感覚的に鈍くても曖昧であっても日常生活を送るのに困ることは無いように思う。感性を磨かなくても、人間の代わりに便利な電子機器が生活上必要となる感覚的な部分を代行してくれるから、人間の感覚は鈍く曖昧になってしまっているように思う。

その曖昧さから少し脱却して、眠っていても困ることの無い能力を目覚めさせるのが、趣味の持つ力であるように思う。楽しみながら、身体意識を活性化させるところに、趣味を通して味わえる充実感が生まれているような気がする。

バイクを趣味の道具として楽しむのなら、電子制御によるデバイスで自分の感覚の鈍さを補って貰わずに、身体を操ることはバイクを操ることでもあるから、昔ながらの素朴な乗り味のバイクや、車格やスペックに圧倒されることも無く気負わず扱えるダウンサイジングしたバイクで、バイクとの会話を楽しみ充実したバイクライフを過ごしていただきたいと願う。

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