バイクは健康療具

ゴールドウイングで北海道へ

昨年の夏は、高田さんと一緒にゴールドウイングに乗って東北へツーリングに出かけた。その時に、Y・110 さんをタンデムシートに乗せ、優雅に走る高田さんのゴールドウイングを目の当たりにして、まだまだ私とゴールドウイングとの心理的距離が離れていることを実感した。

ゴールドウイング適齢期の私としては、もっとゴールドウイングとの心理的な距離を縮めたくなった。

そして居ても立ってもいられなくなり、昨年の9月、ゴールドウイングで北海道3,400kmツーリングに出かけることにした。道中ゴールドウイングとの会話を続けることで、心理的な距離を少しずつ縮めることが出来た。更に距離を縮めようとして、ゴールドウイングについて深く知ろうと思い、道中にWebでカタログを読んでみた。

ところが、ゴールドウイングについて書かれている記事を読んでいると、何かしら違和感を覚えてしまった。その表現は、私が実際に走って感じているゴールドウイングの楽しみ方とは、掛け離れているように思えたのだ。

その違和感について考えると、バイクについての情報や表現について、いろいろ思う処があった。

表現によって飾られた情報

「限りなく続く、ツーリングの歓びのために」造られたゴールドウイングは、大きく重い車両であるにもかかわらず、身体に馴染むと、過度に車両を拗らせず優雅な走り方が出来る。

但し、私の場合は、NWJC拘りのメンテナンス+αによって速さより心地良さで走り続けることが出来る仕様になっているから、ゴールドウイングならではのツーリングを楽しむことが出来る。そういう状態だから、私でも少しは優雅な走り方が可能なのだが、新車の状態のゴールドウイングがどうだったかと言うと・・・。

「モーターサイクルらしいナチュラルなハンドリング」と書かれているのだが、低速のコーナリングでは過度に内側にハンドルが切れて内側に倒れ込み、交差点や狭路の切り返しで、冷やりとすることがある。高速では時速100キロを超えると路面の凸凹でハンドルに硬い反動が伝わってくることがあり、気を抜けない感じがある。

そういう冷やりとする気を抜けないようなハンドリングのことを「モーターサイクルらしいナチュラルなハンドリング」と言うらしい。体感しない状態だと、何となく良いことが書かれているように思ってしまう。

ゆとりとくつろぎ

「長距離のツーリングを、常にゆとりとくつろぎで満たしていく」エンジンや装備であるらしいのだが、新車のままの状態では、極低速では力が無く不安定となり、あるスピードを超えると接地感が無くなり不安定となる。そういう傾向があったこと覚えている。

「季節、場所を問わず、常に快適なツーリングを楽しめる充実装備」が満載のゴールドウイングも、酷道と呼ばれているような一般道では体力や集中力をフルに発揮させるので、ゆとりなど皆無な走りとなる。雨の夜間走行ではワイパーが付いていても全く前が見えなくなるので、走りたくなくなる。楽しむ為の場所や天候を選ぶ車両であると思う。

実際のツーリング場面での利便性と快適さとは、意味内容が全く異なるものだと思う。私は、常に緊張感を持ってゴールドウイングに乗っているのが現状だと思う。「ゆとりとくつろぎ」?何故こういう表現をしているのだろう。

「限りなく続くツーリングの歓び」や「ゆとりとくつろぎ」を常に感じられない私は、かなりの「ひねくれ者」かもしれない。風や飛んでくる虫達から守られ、冬でも比較的暖かく過ごせる装備だけでは、満足出来ていないのかもしれない。

ゴールドウイングの魅力

私の場合、排気量1800㏄ 車重が450㎏を超えるバイクに乗ったらどんな感じなのだろう?今まで体験したことのない凄い体験が出来るのではないか?自分にも扱えるのだろうか?という好奇心からゴールドウイングに乗り始めた。そして今、実際には扱いきれないスペックを有するゴールドウイングを、少しでもライダーとして楽しめるようになろうとしている。

ゴールドウイングとの心理的距離を縮めていく過程や、ゴールドウイングに挑んでいるような感覚は、とても素敵な体験だ。それは、のんびりと大らかな気持ちで旅を楽しむのとは違う次元の楽しみ方であるように思う。楽しいのだが「ゆとりとくつろぎ」とは無縁の楽しさであると思う。

ゴールドウイングは、路面の整備された高速道や交通量が少なく信号の少ない一般道であれば、一日中心地良く走り続けることが出来る。タンデムで荷物を積載しても安定感がある。横風にも強い。すごく良く出来た車両だ、流石、ホンダのフラッグシップモデルだと実感している。これが、もともとアメリカ大陸をタンデムで(リアシートをパッセンジャーシートと呼ぶのも頷ける)走り続ける為に作られたゴールドウイングのツーリングなのだと思っている。

しかし日本国内では、一日中走り続けていると、信号のゴーストップや荒れた路面にも少なからず遭遇することになる。大きくて重い車両を安定させる為に、ライダーにはスロットルワーク、無意識に体重移動してバランスを保って全てにおいて正確さが要求される。常に気を抜けない処があるから只々のんびりと走り続けるわけにはいかない。そういう場面で、ゴールドウイングと会話を続けていると、カブ・コンプリートとは違った楽しさがある。

ツーリングの歓びは限りなく続くのか?

私は、朝から走り始め、長時間ゴールドウイングを駆り続け、夕方くらいになると、交差点でゆっくり曲がる、信号待ちからゆっくり発進する、そういう時に路面にうねりがあると、ハンドルを取られるような感じが強くなる。シートを跨ぐ時には足が上がり辛くなる。ワインディングでは、徐々に侵入のタイミングが遅れ、バンク角が深くなり始め、ライン取りや操作が雑になって行く。

心身共に消耗しているのだ。止まり方、動かし方、無意識の内に体力や気力を使っていることを実感する。ライディングはスポーツなのだ。車に乗り続けた時の疲れとは明らかに違う爽快感があり、ゴールドウイングを駆りツーリングしているのだと実感する。

その爽快感の中には、決して引き出すことの出来ないゴールドウイングの性能に挑んでいるという感覚がある。ライダーとしての自分の能力の無さを思い知らされ、ライダーとしての自分の性能を引き出そうと言う感じかもしれない。それは、カブ・コンプリートやXR230などを駆り、性能をフルに使い切って楽しむ感覚とは明らかに異なっている。

ツーリング後に改めてカタログの表現を読むと、表現された内容は実体験とは明らかに異なるものだと分かる。ゴールドウイングに乗ったことのないライダーではないライターが、開発者の話と写真を基に空想を膨らませて書いているのだろう。

ホンダのホームページを読んで知ったのだが、WGPのレギュレーションによると参加ライダーには50歳という年齢制限があるらしい。日々、過酷なトレーニングを続けているプロライダーでも、50歳を過ぎるとレースに参加出来なくなってしまう。それくらい、バイクに乗ることは危険を伴うことなのだと、歳を重ねる毎に自覚すべきだと思う。

ゴールドウイング適齢期

ゴールドウイングを駆って、高速道を主に岐阜から青森まで約900km走り、一般道を主に北海道を約2,000km走り、高速道を主に新潟から岐阜まで約500km走った中で、ゴールドウイングの私なりの楽しみ方が更に広がり、理解を深めた気がする。

私とゴールドウイングとの会話の中には、バイクを永く楽しむための訓練のような意味合いが含まれているようだ。体力のある間でないと、ゴールドウイングに乗る楽しさを味わえないと実感している。

体力が低下しても動かすことは出来るだろうが、それは見栄を張って苦痛で危険な体験をしているだけな気がする。そうなると、排気量1800ccで450㎏の車格による威圧感をばら撒き、どうだ凄いだろ!という自己満足に浸る、片腹痛しと思われるライダーになってしまいそうな気がする。

高田さんから聞いていたゴールドウイング適齢期という話の「適齢」という言葉の意味内容を噛み締めながら走るツーリングとなった。

カブ・コンプリートやXR230を楽しみ続ける為に、今現在ゴールドウイングに乗っているような気分になった。そして、そういう気分も悪くないなと思った。

現在、ゴールドウイングでのツーリングを私なりに楽しんでいることが、これから先、体力が低下して行く中で、とても意義のある体験なのではないかと思う。ライダーとしての自分の限界を感じつつ走ることは、体力が低下してからやることではなく、適齢期の今やることだと思う。

私にとって、永くバイクを愉しむということは、これから先ダウンサイジングした、カブ・コンプリートやXR230を楽しみ続けることだと思う。

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