トライアンフ ボンネビルT100を楽しむ その2【東北編】
岩手一関から秋田の横手へ
R342号で一関から秋田の横手を目指した。H20年岩手宮城内陸地震は栗駒山近くを震源としてR342号は広範囲にわたって地震に見舞われた地域であり、自然の猛威が至る所で生々しく残っていた。標高が上がるとキャブ車は少しずつエンジンが重くなってくるが、こんな時最新のインジェクション仕様をうらやましく思う。
金沢柵 横手は納豆発祥の地?
R13号の、のんびりとした車の流れの中を金沢柵へ向かう。横手一帯は後三年の役の古戦場で多くの史跡があり、奥羽本線の駅名にも「後三年駅」がある。 この戦いの折り農民に煮豆を俵に詰めて供出させた所、数日を経て香を放ち、糸を引くようになった。これに驚き食べてみたところ、・・・・・・とある。
払田柵跡
平安時代の城柵遺跡で、水沢の胆沢城は築地の塀が崩れて道として残っているので規模が分りやすいのに比べて周囲の景色に溶け込みより大きく見える。国の史跡に指定されているが、文献資料にその名が無いため「幻の柵」とも呼ばれる。
唐松神社天日宮
日本の神を奉斎する物部守屋大連は崇仏派の蘇我馬子との戦いに敗れ、蘇我氏に追われた物部一族は各地に、離散し物部守屋大連の子「那可世」は、東奥の地に分け入り、数代の後に元宮である現在の唐松山山頂にお祀りをしたとされる。物部の祖神を祀る。
唐松神社にある天日宮のたたずまいを小説 高橋克彦「竜の柩」か「霊の柩」のどちらかだったか、UFOが・・・・云々と、面白い表現がされていたと思ったが詳しくは思い出せない。
まほろば唐松「中世の館」
唐松神社のすぐ側にある「中世の館」は、案内板によると「唐松とは、物部伝承によると、古代神功皇后が朝鮮半島の新羅を討征し、その後、この地に遠征して韓服(唐松)神社を祀ったことから、この名があるといわれている。唐松城は平安時代、陸奥の郡之司であった安部貞任の弟、安部官照の強固な城であったが、康平6年(1063)に源義家(八幡太郎義家)の攻撃にあい、落城したと言い伝えられている。
八郎潟
R7号を左に折れて八郎潟の穴凹のある真直ぐなフラットダートをかなりのハイペースで走ってみるが、各部の見直しにより全体に剛性感があり、安定感と軽快感が増して前後WPサスペンションも更に効果的となっている。
足回りはバタつくこともなく、容量31LX2=62Lのダールパニアケースに荷物を積み込んだ状態でもハンドルがとられることもなく安定して軽快に走る。
白神ラインは土砂崩れのため残念ながら通行止めで走れず!引き返して県道192を経由してR101より県道12号から亀ヶ岡遺跡付近のフラットダートを少し走り、十三湖を目指す。
十三湖
安陪貞任が厨川柵で落城したとき、次男高星丸は十三湊へおちのびて安東水軍の祖となった。
津軽檜を筏に組んで曳航し、瀬戸内海の大三島にある伊予国一之宮「大山祇神社」の建立に献じ、村上水軍との信交ありとある。T100のエンジンは絶好調で十三湖を眺めながらのんびりと湖畔を走る。
十和田湖
十三湖から岩木山を眺めながら林檎畑の中を黒石へ向かう。R102奥入瀬渓流経由で十和田へ向かったが、またまた通行止めのためR454に変更。19日は昨年同様に十和田神社で、古神道の神事に参列した。
大湯環状列石
この縄文遺跡は昨年もタイガー800で立ち寄った。宿泊地の鶴岡を目指しR7号を走るが、空はどんよりとした曇り空で、昨年は夕日に染まる鳥海山がとても綺麗だったが、頂は雲の中で全容が見えなかったのが残念。
帰路は悪天候でも…
帰りはR117を経て、一日目と同じ長野道豊田飯山ICから高速に乗り岐阜をめざした。小布施から岐阜まではドシャ降りの雨だったが、スクリーンの効果もあり快調に走れて今回も無事に到着。ボンネビルの走り続ける楽しさと、トータルバランスが高く進化していることを充分に実感できて満足のいくツーリングを楽しめた。