バイク屋の備忘録

古代への道 -日本神話を訪ねる-

ツーリングの楽しみ方も十人十色ですから、情報誌などで得た情報を元に風景やモノを求めて訪ね歩き、情報を処理するかのようにポイントを目指して、通過点としての記録をスタンプなどに留め、ポイントとポイントを線で繋ぎ、時間と距離を積み重ねるツーリングも一つのスタイルだと思う。

私の一つのツーリングスタイルは、歴史小説やそれに関する参考文献などを読み、その時代を現代の地図に置き換えて辿る道は、何ら変哲も無い田畑の風景であっても歴史の煌きに触れたとき、フッとアクセルを緩めたくなる。

バイクならではの季節感や想像力は、見えている風景をとても素敵な情景へと変化させていく。そんなツーリングスタイルをご紹介して往きたいと思います。

日本神話を訪ねる
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ツーリングで山陰方面の海沿いを走れば、子供の頃に母やおばあさんから絵本で読んでもらった「因幡の白兎」や、大きな袋を担いだ「大黒様」のお話など遠い昔話を思い出す。白兎海岸や出雲大社などをはじめ日本は神話の国。とおい昔の話をいつかバイクで訪ね歩いてみたいと常々思っていました。

高等小学校修身書 巻一.JPG 参考書籍:古事記や日本書紀その他の本


終戦後の日本の教育の現場では、教科書が墨で塗りつぶされて真っ黒だったと聞いています。記紀神話をはじめ風土記などの日本神話が教育の現場で語られなくなって半世紀以上の時がたち、表の世界から姿を消して若い世代は神話に触れることも知ることも無く埋もれてしまいました。神話を持たない民族とも言われ始めているが、日本神話は日本人の知的な遺産でありルーツでもあると思う。

ボンネ.JPG
神話や歴史を訪ね歩くには当然バイクという道具選びにも影響していると思う。速さや快適さより、体感的に心地良いことや、心地よいと思える速度域が一般公道で良識の範囲内にあることも重要なことだと思う。

SL.jpg 野上.jpg
125や250の軽量なバイクでブラブラと出かけてみると、機動力や手軽さも中々良いものだと思う。
大型のバイクにも乗っているが250シングルで中山道など街道を訪ね歩いている方や、早朝の清々しい空気の良い時間に「SL230」で旧中山道を辿ることを楽しみ、等身大のとても充実したバイクライフを楽しんでおられる年配の方もお見えになります。

記紀(古事記・日本書紀)に登場する遺跡や伝説が美濃地方にも存在しています。

喪山天神社.JPG 喪山の碑.JPG

古事記 上つ巻 葦原中国平定 天若日子

「御佩かせる十掬釼釼を抜き、その喪屋を切り伏せ、足もちて蹶ゑ離ち遣りたまひき。こは、美濃の国の藍見(あゐみ)の河の河上なる喪山ぞ。」

とあるは、大矢田神社摂社の喪山天神社のようだ。また、近くには関連した遺跡が点在している。

稗田阿礼の看板.JPG
古事記 上つ巻 序第二段 古事記撰録の発端

「時に舎人あり。姓は稗田、名は阿禮、年はこれ廿八。人となり聡明にして、目に渡れば口に誦み、耳に拂るれば、心に勒す。すなはち、阿禮に勅語して帝皇の日継及び先代の旧辞を誦み習はしめたまひき。」

稗田阿禮の出身地は、今の住所では奈良県大和郡山市稗田町である様だが、何故か古事記の語り部「稗田阿礼 生誕の地」の看板が飛騨清見にある。

戸隠神社重ね岩.JPG 重ね岩の看板.JPG
古事記 上つ巻 天照大神と須佐之男命 天の石屋戸

「その隠れり立てりし天手力男神、その御手を取りて引き出す即ち、布刀玉命、尻くめ縄をその御後方に控き渡して白ししく、「これより内にな還り入りそ。」

とある。投げ捨てた天の岩戸が落ちた所が有明山(長野県南安曇野郡穂高町)で、その名は、世の中が明るくなったことに由来するとの伝説がある。またその戸が戸隠山(長野県戸隠にある戸隠神社)になったという伝説もあり、その天の岩戸の破片が落ちたとされるのが、郡上市和良村戸隠神社にある『重ね岩』という伝説もある。

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